今、我が家では「自分で考え、自分で決める力」を育成することを主眼とした、家庭内での関わり方を実践中です。
意識していることは一つだけです。
それは「親が指示をしないこと」です。
勿論、全てのことに関して「指示をしない」というのは無理なので「極力やろう」というのが現実的な部分にはなりますが、それでも「可能な限り本人に決めさせる」という部分にこだわっています。
今回は、何故「本人に決めさせる」という部分にこだわっているのかをお伝えしたいと思います。
親として将来の子どもに望むこと
皆さんが、親として子どもに望むこと(親の願い)は次のうち、どちらでしょうか?
A:自分のやりたいことは特になく、とりあえず目の前のことを機械的にこなす人
B:自分の頭で考え、自分のやりたいことに対して努力出来る人
多くの場合、Bの「自分の頭で考え、自分のやりたいことに対して努力出来る人」を選ばれると思います。
それはやっぱり、誰しもが「自分の人生は自分の意思で築いていって欲しい」と願っているからだと思います。
ですが、実際に多くの子ども達はどうなのでしょうか?
何となく高校に行き、何となく大学に進学し、何となく就職する。
しかも、就職先は「安定」「高収入」「知名度」などという、実態があるんだか無いんだかよく分からないものに引っ張られてしまい、「自分のやりたいこと」が良く分からないという学生は、今も昔も多くいます。
何故、そうなってしまうのでしょうか?
それは、成長の過程において、「自分で考え、自分で決める力」が身についていないからです。
そして、そうなってしまっている最大の要因は「自分で考え、自分で決める経験」が圧倒的に不足しているからです。
日本は「和を以て貴しとなす」という言葉に代表されるように、組織の「和」、つまり同調性が重んじられる傾向があります。
そのため、学校教育を始めとした多くの教育において「指示に従うこと」を善として叩き込まれ、「出る杭は打たれる」風土が出来上がっています。
しかし、時代は変わり、多様な情報・多様な価値観が重んじられる現代においては「自分の頭で考える力」が何よりも重要視されてきます。
自分たちの子どもの頃から今までの社会の変化を感じてきた私たちだからこそ、我が子には「自分の頭で考え、自分のやりたいことに対して努力出来る人」になって欲しい、そう願う人が多いのだと思います。
目の前の短期的な学力にとらわれ過ぎない
学校の宿題とは別で家庭学習に取り組まれている方は多くいらしゃると思います。
それは「子どもに学力を付けてほしいから」ですよね。(うちもそうです)
実際、算数や国語が出来るようになっていく過程は、親としても嬉しく思うものです。
ただここで一旦立ち止まって考えたいのが、多くの場合、日々の家庭学習でやる内容を「親が決めている」ケースが多いということです。
うちもかつてはそうでしたが、実はつい先日これを止めました。
理由は一つです。
「子ども本人が考え、決めていない」から、です。
学習習慣を付けることの重要性は認識していますが、その一方で「学習習慣とは『毎日のやることを方向付けされた思考停止状態』ではないか?」という疑問を抱くようになりました。
つまり、本来あるべき学習姿勢は「親に方向付けされるもの」ではなく、「自分で決めた通りにやる」ではないかと。
そして、「自分で学習する理由」を理解して初めて意味をなすものだとも感じています。
しかしながら、小学生(しかも低学年)に「自分で好きに決めさせる」とどうなるか?
答えは皆さんの想像通り、多分「何もしない、ずーっと遊んでいる」となるでしょう。
遊びが悪いとは言いませんが、やはり家庭学習は大事ですので、そうならないために「外枠は親が決めてあげる」必要があります。
外枠とは、例えば「1週間分の家庭学習の内容課題を決める」といったものです。
この外枠は親が決めますが「いつ、どのようにこなしていくか?」は子ども本人に決めさせる、という具合です。
これはすぐには上手くいかないと思いますし、「親が日々の学習内容を決めてそれをやらせる」方が、おそらく何倍も学力は伸びていくでしょう。
ですが、学習内容が多くなってきた時、それこそ中学受験の勉強を本格的にやりだした時には膨大な量の学習をこなし、吸収していかないといけません。
そうなった時に「親に言われた通りやる子」と「自分で計画立ててやる子」では、どちらが吸収力が高くなるでしょうか?
多くの場合、「自分で計画立ててやる子」のはずです。
つまり、「自分で考える力」の付いている子どもは、後伸びで学力が上昇していくということです。(逆に「いわれた通りにやる子」は最初は良いですが、やがて失速する傾向があります)
私がここに気づいた時に感じたことは「短期的な学力向上にとらわれ過ぎない」ということです。
短期的な成果を出すには「やらせる」のが近道ですが、私たち親が本当に子どもにしたいことは「やらせること」でしょうか?
違いますよね、「本人の意思で自発的にやってもらうこと」だと思います。
だからこそ、地道に「自分で考え、自分で決める経験」を積ませる必要があるのです。
脳科学的にも大きな意味を持つ
そして、この「自分で考え、自分で決めさせる」ための関わりと言うのは、実は脳科学的にも大きな意味を持っています。
持つべき視点は、大きく分けて2つです。
それは「自己肯定感の醸成」と「自己報酬神経群の作用」です。
次は、そこについて順に解説をしていきます。
自己肯定感の醸成
自己肯定感というのは、皆さんもご存知の通り、「物事にチャレンジしていくためのエンジン」のような役割を果たします。
ここが弱いと自分に自信が持てず、チャレンジすることを避けるよになります。
そうならないためには「自分で決めて実行した」という経験が必要です。
つまり、親の視点から言えば「自分で決めさせて、実行させる経験」を積ませるということが必要だということですね。
そう考えると「親の指示通りの家庭学習」は必ずしもプラスに作用していないことが分かります。
勿論、短期的に学力がついて学校の勉強が分かるようになることでの、自己肯定感の醸成という側面は確かにあります。
ですが、「言われた通りにやる習慣」というのが非常に気になるところです。
そこには「自分で考える、計画する、決める」という余地がなく、そのような力が育成される要素が排除されている状態です。
これは望ましいことなのでしょうか?私は決してそうは思いません。
だからこそ、「日々の学習内容を親が指示しない」という方針を採用しました。
自己報酬神経群の作用
そして、もう一つ押さえておきたいのがこの「自己報酬神経群」です。
この自己報酬神経群については、PRESIDENT Onlineにて分かり易い記事がありましたので引用します。
自己報酬神経群とは、「自分でやりたい」という本能を生み出す部位である。自分のやりたいことを成し遂げることが、脳にとってのご褒美になるように働く。考える力を鍛え、勝負に強くなり、目標を達成するためには、何事にも「自分でやりたい」という自己報酬神経群の機能を高めることが大切となる。
自己報酬神経群は、人から「やれ」と命じられたときには、ほとんど働かない。やれと言われて嫌々勉強をしても、自己報酬神経群が働かず思考が起こらないから、結果として、すぐに忘れてしまうことになる。
いかがでしょうか?
皆さんも子どもの頃、親に「勉強しなさい」と言われたことで、勉強する気が無くなった経験があると思いますが、実はその原因はこの「自己報酬神経群」の作用だったのです。
そして、この自己報酬神経群は大体7歳くらいから活発になると言われています。
つまり、中学受験で大変になる年頃にはこれが活発に働き、親の指示では動きたくない気持ちが強くなってくるということです。
また、この自己報酬神経群の注目すべきところは「やれと言われて嫌々勉強をしても、自己報酬神経群が働かず思考が起こらないから、結果として、すぐに忘れてしまうことになる」という点です。
これは大変恐ろしいことで、これがこじれてくると、例えば次のようなことが起きる可能性があります。
①子どもが勉強しないから「勉強しなさい」と言ってやらせる。
②しかし、無理にやらせるから、自己報酬神経群が働かず吸収力が下がり、学力が上がらない。
③学力が上がらないから、また無理にでも勉強させようとする。(以後、①に戻って繰り返し、負のスパイラルへ。)
容易に想像できますし、実際にそういう家庭も多いと思います。
このような状態に陥ってしまうと、抜け出すのが非常に困難になります。
だからこそ、こうなる前、出来れば低学年のうちから「自分で考え決めさせて、実行する経験」を積ませたいものです。
・短期的な学力向上にとらわれ過ぎないようにしよう
・親が全て決める「日々の家庭学習」を疑ってみよう
・「日々の家庭学習」を子ども本人に決めさせてみよう
・「自分で考え、決めて、実行する経験」で子どもの自己肯定感を高めよう
・自己報酬神経群が活発になる7歳以降は、特に自分で決めさせる機会を増やそう

