ラボの取り組み

続・読解力とは何か?

前回、読解力についての考察を書きました。
※関連記事:読解力とは何か?

 

この記事を受けて、以下のような質問を受けました。

 

「一般的に『読解力を付けるためには読書が効果的』と言われますし、『読書をすることで感性が豊かになる』などと言われますが、この感性が豊かになる(感性が磨かれる)というのは読解力とはどういう関係になるのですか?」

 

確かに、国語の授業では「登場人物の気持ち」「自分だったらどう思うか?」みたいなことをみんなで考えたりしますよね。

そういう意味では、確かに「国語の授業で感性を豊かにする(磨く)」という視点はありそうです。

 

ということで、今回は「続・読解力とは何か?」というテーマで、読解力と感性の関係性について考察をしていきたいと思います。

 

それぞれの持つべき意味について、まず考えてみたいと思います。

では、前回の復習です。
読解力とは「論理的に確かなことを導く力」でしたね。(細かい要素分析はまた別に行います)

 

国語における感性って?

で、問題の「感性」です。
辞書を引きますと「物事を心に深く感じ取る働き。感受性。」と書かれています。(出典:デジタル大辞泉)

 

「物事を心に深く感じ取る働き」が「論理的に確かなことを導く」と同じか?と問われれば、う~ん、ちょっと違う気がしますね。

私も、違うと思います(笑)

 

では国語の授業では読解力を付けることになり、感性を磨くことは行われないのでしょうか?(もしくはその逆なのでしょうか?)

 

少し視点を変えれば、この答えに近づくのではないかと思っています。

 

国語の学習で身に付けるもの

実は、国語を勉強することで身に付けていくべき事柄については、色んな方が色んな視点で論じていますが、要約すると以下の3点に集約されます。

 

①論理的思考力(≒言語技術)を身に着ける
②感性を豊かにする
③文化的背景を知り、教養を深める

 

これらは、国語を勉強する過程において、同時に身についていくこともあれば、一つずつ身についていくこともあります。
(数学で言えば、関数分野と図形分野の関係性のようなものでしょうか)

 

国語の勉強内容を幾つかの系統に分けて考えてみましょう。

 

その1「文法」

これは、論理的思考力(言語技術)を強化するのに役立ちそうですね。→評価:○
でも感性を磨くのとは、ちょっと違うような気がします。→評価:×
教養を深めるという視点ではどうでしょうか?
一見すると違うように見えますが、実はこれは大いに関係してきます。小学校の範囲においてはそうでもないかもしれませんが、古文・漢文を勉強し出すと、関連が深くなります。→評価:○

というのも、言葉(文章)の組み立てというのは、古くは中国から渡ってきたものがベースとなり、そして日本独自の発展を遂げ、徐々に現代の言葉に変化をしてきています。
その変遷を知る上で、文法というのは非常に重要な意味を持ちます。

古文・漢文を文法的観点から体(頭ではなく)で身に着けるには、素読(そどく)という手法が有名です。
これは、古文や漢文などを原文のまま音読するという江戸時代からある伝統的な学習手法です。
これに関しては、こちらが分かり易く書かれていますので、興味のある方は参照してみてください。
※「素読」の細かい効果についてはまた別で書きます(^^;)

その2「文章理解」

これは前回の記事でも言及しましたが、文章の繋がりを紐解いて理解することで、文章理解は当然、論理的思考力の養成に役立ちます。→評価:○
感性を磨くのも当然なされるでしょう。→評価:○
教養も深まることにもなるでしょうね。→評価:○

と、ここまで書くと、文章理解って万能じゃん!と思われるかもしれませんが、実はそうとも限らない部分もあります。

というのも、学校での国語の授業(特に小学校)においては、文の構成を分解しながら読み進めるよりも、子どもの感じることを大事にするという旗印の元、「○○のようなこと(主に人としての部分)を感じながら理解しましょう」といった道徳教育の一面を持っているからです。

皆さんが良く知っている題材だと「ごんぎつね」「大造じいさんとガン」「ちいちゃんのかげおくり」「かわいそうなぞう」「走れメロス」などが代表的なものでしょうか。

それぞれの題材が持つ素晴らしさは勿論異論の余地はないのですが、問題なのはそれぞれが持つ「道徳的な教訓」を国語の授業の中で子供たちに(ある種の誘導を持って)学ばせるところです。

日本の国語教育は伝統的に道徳教育の側面を強く持ちます。
そのため、文の構成や繋がりなどを読み解くことよりも、その教訓部分を如何に感じ取れるかに主眼が置かれる傾向があります。

この国語教育が道徳的側面を持っていることについては、下記の書籍に詳しく書いています。

ということで、実は文章理解は「感性を磨く」の方に重点が置かれる傾向が強いので、
論理的思考力→評価:△
としておきたいと思いますm(_ _)m

 

その3「作文」

さぁ、これはいかがでしょうか?

これは、文章構成力が大きく問われるので、論理的思考力→評価:○
自分の感性を言語化するという意味では「感性を磨く」は→評価:△
そして、文化的背景から教養を深める要素は少ないので→評価:×
としたいと思います。

ですが、ここでも問題点が!
先程の文章理解同様に、実は、この作文も学校の現場においては「子供の内なる感性を大事にしたいので、書き方(方法論)は基本的な構成だけ教えて、後は自由に書かせよう」というのが、大半の国語の授業の現状なのです。

ご自身の小学校当時のことを思い返してみてください。
・読書感想文の書き方はちゃんと教わりましたか?
・頑張って書いた作文(読書感想文でも、遠足の感想でも良いです)を提出し、その後、添削指導を受けて書き直したことはありますか?

少なくとも、私の過去の記憶を辿っても、そのような経験は見つかりません。

読書感想文は自分で「読書感想文の書き方」のような本を買って勉強しましたし、作文なんてまさに書きっぱなし・出しっぱなしでした(苦笑)

最近では、学校によっては徐々に論文形式の書き方を指導するところもあるようですが、とは言え、まだまだ十分とは言えないのが現状です。

はい、ということで、実はこの「作文」も学校の勉強においては論理的思考の養成は→評価:△
となってしまうんですね。。。

 

まとめ

国語を勉強では、以下の3つの要素を身に着けるのが目的でしたね。
①論理的思考力(≒言語技術)を身に着ける
②感性を豊かにする
③文化的背景を知り、教養を深める

 

そして、ここまでくれば、皆さんもお分かりかと思いますが、「感性を磨く勉強」「読解力を身に着ける勉強」別物だということです。

そして、学校の指導は②感性③文化的背景・教養に比重が置かれることが多く、その一方で①論理的思考力については十分な指導がなされていないのが、これまでの学校教育でした。

 

このような歴史的経緯がありますので、家でお子さんに国語の問題について聞かれても、算数などと違って明確な答を持って、論理的に教えることが苦手な人が多いのではないでしょうか?

その理由は、親である私たちが感性・教養重視の国語教育を受けてきたことにあるのです。

 

そして、その延長線上に存在のするのが「日本人は表現するのが下手、プレゼンが下手」という評価です。
当然ですよね、論理的に主張するためのトレーニングをしてきていないのですから。

 

急速なグローバル化が進行し、日本の既存の教育では対応できなくなってきているのが顕著に表れた結果として、2020年の教育改革がある、というのが今の子どもたちが置かれている環境と言えるわけです。
※関連記事:2020年の教育改革とは何か?(ざっくり背景編)
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